わたしの青春には、根暗でもいいよと言ってくれる大人はいなかった。
https://www.j-cast.com/2019/10/17370352.html?p=all
一連の教師いじめのニュースを受けて。
加害者側のコメント、いちいち気持ち悪さしかなくて才能すら感じさせる当事者意識のなさが際立つね。
自分の青春時代を思い出すと
わたしは高校は行ったり行けなかったりの中途半端な半不登校だった。
こんな誰にも読まれないであろう、ねちねち暗い文章を書いていれば分かる。
単純にクラスに馴染めなかった。
女子校だったので当たり前だが、クライスメイトはみんな女子。カーストを気にせず気の許せる友達がクラスにはいなかった。
ほかのクラスにはいたけど、15歳の高校生にとって、「クラスに絶対的な味方がいない」というのは結構しんどいものだった。
別にいじめられたわけでもないし、無視をされたり意地悪されたりしたことも無い。
ただ、自分の存在は本当にどうでも良い存在で、いてもいなくても誰ひとりにも影響がないことがクソほど死ぬほど寂しかったんだと思う。
いじめられてもいないけど、クラスには馴染めていない最強にショボい立場で1年間過ごした。
トイレ弁当してたら、違うクラスの人に見つかってしまったり
誰にもいない部室で弁当食べてたら後輩に知られてしまったり
久しぶりに学校に行くと、クラスメイトが気を遣ってあいさつしてくれるの、嬉しいやら惨めやら複雑だった。
クラス替えがあったあとも、行ったり行けなかったりで体育の単位が足りなくて補習でお情け卒業させてもらった。
卒業式には親だけ行った。
10年以上、いやもっと前の話だし
暗かった学生生活だったよね〜って笑えるぐらいには消化してる。つもり。
でも、こういうニュースを見ると何か言いたくなるぐらいには、消化もできてないのかもしれない。
タイトルの通り、わたしの学生時代、暗くてもいいんだよ。そのままのあなたがかけがえのない存在なんだよ。と言ってくれる教師は誰一人いなかった。
中学生の時から成績順でクラス分けが行われていたし、成績順の良し悪しで同じ学校なのに受けられる授業内容が違っていた。
下位のクラスの友人は、教師の対応も所属クラスによって微妙に違うと感じていたらしい(これは主観でしかないが)。
中には成績上位のクラスが嫌いなアウトローな教師もいた。そういうタイプは、いかに上位のクラスの人が自分のことを鼻にかけ、「ガリ勉の人間味のないやつら」だとよく口にしていた。
そういうガチガチな勉強市場主義な環境で、救済措置のようなことを言う教師もいたな。
「勉強が苦手でも、友人がたくさんいる人生はすばらしい」
やの
「一生懸命勉強できるのは幸せなことだ」
やの。
でもね。当時の私には、勉強もできない、友達も少ない(もしくはいない)人間には価値がない(もしくは低い)って言ってるように聞こえてたんだよね。
きっとそんな意識、教師にはなかったんだろうけど。
私自身がかけがえのない存在なんだ自分で肯定できるほど、成熟していなかった。
あの時そういうことを言ってくれる教師に出会っていたら、何か変わっていたのかなという甘い妄想はしてしまうけど。
だから、私が母になったとき、若い子に接するとき、いっぱいいっぱい伝えていきたい。
あなたは生きてるだけで尊ぶべきかけがえのない存在なんだよって。
根暗でも
勉強苦手でも
友達少なくても
友達いなくても
そんなのあなたの価値に全く影響しない小さなものなんだよ
って15歳のわたしに言ってあげたいな。